
何から手をつければ……いいんだろう
こんにちは。IT業界30余年、フリーランスのシルバーエンジニア。おにぎりです。
「裁量が大きい」「自由な職場」——働き方を選ぶとき、プラスの言葉として受け取る人は多いと思います。わたし自身、そうでした。
でも正直に言うと、いちばんしんどかった案件も、「好きにやっていいよ」と言われた場所でした。
一方で、一緒によく仕事をするツナマヨくんが入った現場は、規約がびっしり決まっていて、レビューも手順書も全部セットで用意されているところでした。「大変そうだな」と思っていたら——なぜか、ずっと動きやすかったらしい。
この記事では、そのちぐはぐな体験を振り返りながら、「自由と制約」の関係について考えてみます。
- 「自由の量」より「自由の置き場所」のほうが大事
- 制約があるから、自由が活きる場所が見えてくる
- 「好きにやって」は、言葉が足りないだけのことが多い
「何でもやっていいよ」が一番つらかった
ぼくが新しい案件に入って、最初に言われた言葉がこれでした。

うちは自由な進め方だから、やり方は任せるよ。好きにやって
正直、うれしかったんです。前の現場は承認プロセスが長くて、何かやるたびに3回はハンコが必要でした。Slackでアイデアを出しても「稟議を通してから」と止まる。それがなくなるんだから、やっと動ける——そう思っていた。
でも3日後、わかりました。
何から手をつければいいか、わからない。
とりあえず手を動かして1週間。「こういう方向性でよかったのか」と確認しに行ったら——

これでいいですか?この方向で進めてたんですけど

あー、そうじゃなくてね
たった1週間なのに、その間ずっと間違った方向に進んでいた。毎日夕方になると、ぐったりしていました。

自由なのに……なんで疲れてるんだろう

どうしたんだい。ちょっと顔色が悪いよ

案件入ったばかりなのに、毎日しんどくて。全部自分で決めなきゃいけない感じが……ずっとある

「好きにやって」が重くなるのは、3つのことが重なるからなんだよ。選択疲れ、正解不在の恐怖、孤立感——おかかが感じてたのも、たぶんそれだよ
自由すぎると、なぜ人は止まるのか
あとから振り返ると、あの疲れの正体は「選択し続けることの消耗」でした。
心理学に「決定麻痺」という話があります。選択肢が多すぎると、人はかえって選べなくなる。ジャムを24種類並べたら、6種類より売れなかった——という実験が有名です。
これは、買い物だけの話じゃない。仕事も同じです。
「何でもやっていいよ」は言い換えると、「何が正解かは教えない」でもある。
自由な環境でしんどくなる理由は、だいたい3つに集まります。

選択疲れ。何をすべきか毎日ゼロから考えるのは、じわじわと体力を削ります。「今日は何をすべきか」から考え始めると、昼になっても前に進めていないことがある。技術的な問題を解くより、「何の問題を解くべきか」を決める作業のほうがエネルギーを使う。その積み重ねで、夕方にはすっかり消耗しています。
正解不在の恐怖。手応えがわからないまま動き続けるのは、暗い海を泳いでいる感覚です。岸が見えないと、泳ぐのをやめたくなる。IT系の仕事だと特にそれが出やすくて、設計が間違っていても数週間は動いてしまう。後から「全部やり直し」になる恐怖を抱えながら、毎日コードを書き続けるのはしんどかった。
孤立感。「好きにやって」は、「一人でやって」と紙一重になることがあります。相談しようとしても「あなたが考えて」と返ってくる。チームの誰かに声をかけても「自由にやっていいよ」と言われるだけ。一人でいる感覚が、じわじわと積み上がっていきました。

自由が欲しかったのは本当なんだけど……こういう自由じゃなかったな
欲しかったのは「何でもできる自由」じゃなくて、「ここなら自分で決めていい」という自由——たぶんそういうことだったんだと思います。

……そう。それが言えてなかった
規約でガチガチなのに、ツナマヨくんはラクだった
ぼくがその案件で苦しんでいたちょうど同じ時期に、ツナマヨくんは別の案件に入っていました。
金融系の業務システムの開発で、コンプライアンスが最優先。コードレビューは必須で2名承認がないとマージできない。命名規則は社内標準に従う。ドキュメントのフォーマットも決まっていて、設計書の項目が1つ空欄だと差し戻しになる。
ぼくには「それは窮屈そうだな」と思えた。

最初は堅苦しいなと思ったんですけど、慣れたら全然ちがいました。むしろ動きやすかったです

え、あんなにガチガチのルールだったのに?

考えなくていいことが決まってるから、考えることに集中できるんですよ。フォーマットが決まってたら、どう書くかで悩まなくていいじゃないですか
「言われたことを言われた通りにやるだけ」と聞いたとき、正直ぼくも「聞こえが悪いな」と思った。自分で考えていない、主体性がない——最初はそう受け取っていたんです。でも、それが良いことか悪いことかは、ひとまず置いておく。
ただ、「考えなくていいことがある」という状態は、思っていたよりずっと楽だったとツナマヨくんは言っていた。
確かに、フォーマットが決まっていれば、ドキュメントを書くたびに「どう書くか」で悩まない。命名規則があれば、変数名を考えるのに5分使わない。手順書があれば、「まず何をすべきか」から考えなくていい。
その「考えなくていい部分」が積み重なると、空いた頭を別のことに使えるんです。
やることが決まっていると、「どうやるか」に集中できる。

コードレビューがあると、書いたコードが一人で完結しないんですよね。誰かが必ず見てくれる。それだけで、孤立してる感じがなくなりました
制約の中にいると、かえって「自分が決めていい部分」がはっきりするんです。ここはルール、ここは自分次第——その境目が見えると、動きやすい。
「規約でガチガチ」と「創造の余地ゼロ」は、イコールじゃなかった。むしろ、ルールが明確な分だけ、自分の工夫を使える場所が見えていた。
幸せな「不自由」の設計
おかかとツナマヨくんは、真逆の現場に入っていました。比べてみると、よく見えてきます。

自由な方がしんどくて、ガチガチの方がラクだったって、考えると皮肉ですよね
これは自由の量の問題じゃない。自由の置き場所の問題です。
リーダーが「自由にやって」と言うとき、たぶん本当は「任せるよ」と言いたいんだと思います。悪意はない。むしろ信頼の表れのつもりで言っている。でも受け取る側には、「どこまでが任されているのか」が伝わっていないことが多い。
信頼と放置は、受け取る側からすると区別がつきにくい。
幸せな制約の設計に必要なのは、3つです。

目的の明示。何のためにやるかが決まっていれば、手段は自由でいい。「この成果を出すなら、やり方は任せる」という渡し方ができると、自律が生まれます。逆に「やり方も、目的も、自由に考えて」では、自由が重くなる。目的が灯台になるから、方向性を自分で選べる。
範囲の明示。「ここからここまでは自分で決めていい」と伝えると、受け取った側が動きやすくなります。「設計方針はこちらで決める。でも実装方法の選択はあなたに任せる」——こういう伝え方ができると、もらった裁量の使い方がはっきりする。逆に範囲が曖昧なまま「自由に」と言われると、どこで動いていいかわからず止まります。
フィードバックの保証。「一人で抱えなくていい」という構造があると、動きが軽くなります。レビューでも1on1でも、返ってくる場所があるだけでちがう。ツナマヨくんの案件でラクだったのは、レビューが「監視」じゃなくて「戻ってくる場所」として機能していたからでした。
「好きにやって」は、言葉が足りないだけのことが多い。「この目的の中で、この範囲なら好きにやって、わからなければ聞いて」——そこまで言えると、受け取る側の動きはずいぶんちがいます。
どっちが幸せか、の答え
結局、自由が多い案件と制約が多い案件、どちらが幸せか。
この問いに「自由な方がいい」と答えたくなる気持ちはわかります。でも実際に体験してみると、話はそう単純じゃなかった。

どっちが正解、じゃないんですよね、たぶん
答えは、自由の「量」より、自由の「置き場所」です。
自由はあればあるほどいい、ってわけじゃない。使える場所に置いてあってこそ、ちゃんと活きてくる。
どこでも自由、は重い。どこでも制約、は息が詰まる。でも「ここだけ自由」なら、その自由を使い切れる。
制約と自由は対立しない。制約があるから、自由が活きる場所が見えてくる。おかかがしんどかったのは自由の置き場所が見えなかったから。ツナマヨくんが動きやすかったのは、自由を使う場所がはっきりしていたからでした。
「何でもやっていいよ」が苦しかったのは、どこが自由でどこが責任なのかが、見えなかったからです。
自由は多いほどいい、ではない。自由は、使える場所に置いてあるといい。
次に「うちは自由だよ」と言う立場になったとき、もう少し言葉を足してみてください。「この目的の範囲で、やり方はあなたに任せる」——それだけで、受け取る側の動きはずいぶん変わるはずです。
あなたは「好きにやって」と言われて、楽だったほうですか?しんどかったほうですか?よかったら、コメントで教えてください。


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