「来月で退場させてください」
チームリーダーからそう言われたとき、まず思ったのは「まずい」でした。
その人はチームの中心にいて、システムの細かいところまで把握していた人です。抜けられたら困る。それは間違いなく本音でした。
ただ、同時にもう一つ思ったことがあります。
「ついに来たか」

え、困るって言いながら「ついに来たか」って、どっちなの?

両方だよ。そして「ついに来たか」と思えた時点で、実はもう半分は終わってるんだ。
焦りと納得が同時に来た。この二つが両方あったことを、今でもよく覚えています。
この記事は、SESの現場で主力メンバーが抜けると分かったとき、私が何をして、何をしなかったかの話です。結論から言うと、私はその人を引き止めませんでした。それでも現場は、思っていたより普通に回りました。
理由は、引き継ぎが上手だったからではありません。引き継ぎが始まる前に、だいたい勝負がついていたからです。
「まずい」と思った。でも「ついに来たか」とも思った
SESで働いていると、人の出入りは日常です。契約の区切りがあり、それぞれの事情があり、人は入れ替わります。頭では分かっています。
それでも、中心にいる人が抜けると聞くと、一瞬で頭の中に「あれはどうなる」「ここは誰が見る」が並びます。
このときもそうでした。
ただ、その焦りと同じくらいの大きさで「ついに来たか」がありました。驚きが薄かった、と言ってもいいかもしれません。
なぜ驚かなかったのか。あとから考えると、兆候はずっと前から出ていたからです。
兆候は、申し入れより前に出ていた
振り返ると、3つありました。

1つ目:そもそもリーダー職に乗り気ではなかった
参画した当初から、その人はリーダーという立場にあまり前向きではありませんでした。技術者としては優秀な人です。ただ、人をまとめる役割を望んでいたかというと、そうではなかった。
引き受けてくれてはいる。けれど、望んで就いた役割ではない。この状態は、本人が思っている以上に外から見えます。
2つ目:一緒に始めた相手が入れ替わっていた
参画したときは、その人と後輩がセットでした。二人で回していた。ところが後輩が現場を離れ、代わりに別の人がその下に付きました。
ここは補足しておきたいのですが、後任が悪かったわけではありません。むしろ技術力は以前の後輩より高かったですし、二人の雰囲気も悪くはなかった。仕事は普通に回っていました。
それでも、最初に二人で立ち上げた相手とは違います。同じ苦労をしてきた相手がいなくなる、というのは、外から見えるより大きいことだったのかもしれません。
人が替わっても問題なく回っている。それ自体は良いことですが、当人にとって何も変わっていないとは限りません。
3つ目:フェーズの区切りがついた頃だった
これはSES特有かもしれません。ひとつの工程が一段落して、山を越えたタイミング。
区切りは、抜ける側にとって申し入れやすいタイミングです。途中で投げ出す形にならないからです。責任感がある人ほど、区切りを待ちます。
つまり「区切りがついた」は、現場にとっては安心材料ですが、人が動くサインでもあります。
この3つが揃っていました。だから「ついに来たか」だったのだと思います。
気づいていたが、引き止めなかった
ここが、この記事でいちばん書いておきたいところです。
私は、その人が辞めそうだと常に頭の片隅で思っていました。そのうえで、引き止めるためのことは何もしませんでした。
冷たい判断に見えるかもしれません。実際、引き止めるという選択肢はありました。条件の話をする、役割を変える、もう少しだけ続けてくれないかと頼む。やろうと思えばできたはずです。
やらなかったのは、本人の意思を尊重したかったからです。
望んでいなかった役割を引き受けてくれて、体制が変わったあとも続けてくれた。そのうえで本人が出した結論を、こちらの都合だけで引き延ばすのは違うと思いました。
引き止めるというのは、こちらが困るから残ってくれという話です。それは相手の人生の話ではなく、こちらの事情の話です。
退場の理由は、本人の意思だけとは限らない
SESの場合、所属している会社の判断で動くこともあります。別の案件に就かせたい、契約の条件が合わない、そういう事情はこちらからは見えません。
家庭の事情ということもあります。介護、転居、家族の体調。本人が話さなければ分からないことばかりです。
こちらが「引き止められるかもしれない」と思っていること自体、そもそも見当違いである可能性があります。本人の一存で決められる話ではないかもしれないのに、残ってくれと頼むのは、相手に断る手間をかけさせるだけになります。
もちろん、引き止めるのが正しい場面もあります。本人が迷っているとき、誤解があるとき、条件を調整すれば解決するとき。そういうときは話をするべきです。
ただこのときは、迷いの段階はとっくに過ぎていました。兆候が3つ揃うまで、その人は十分に考えていたはずです。
代わりに言ったのは、今までありがとう
引き止めの言葉は何の役にも立ちませんが、これは違います。
望んでいなかった役割を引き受けて、体制が変わっても続けてくれた。その事実に対して言うべきことは、残ってくれではなく、ありがとうのほうでした。
言われた側がどう受け取ったかは分かりません。ただ、こちらが伝えられるのはそれだけだったと、今でも思っています。
代わりにやっていたのは、人が抜ける前提のチーム作り
では何もしていなかったのかというと、そうではありません。
ただしそれは、この人が辞めそうだと感じてから始めたことではありません。増減員はあるものだと考えて、最初からやっていたことです。
3つあります。

1.常に二人以上が知っている状態にする
どの領域についても、分かる人が最低二人はいる状態を保ちます。
片方が休んでも、抜けても、もう一人が話せる。この「二人目」がいるかどうかで、人が抜けたときの揺れ方がまったく違います。
2.誰かだけが知っていることを作らない
1と似ていますが、こちらは裏返しです。「この件はあの人しか分からない」を潰していく。
現場では、放っておくと必ずこれが生まれます。詳しい人に任せたほうが早いからです。目の前の効率だけを見ればそれが正解に見える。
ただ、その状態で当人が抜けると、一気に止まります。
3.チーム構成とメンバー配置を常に意識する
誰と誰が同じ領域を見ているか、どこが薄いか、次に誰を厚くするか。これを頭の中で更新し続けます。
一度決めて終わりではありません。人は増えるし減るので、そのたびに形が変わります。

地味……。もっとこう、劇的なやつはないの?

ないよ。劇的なやつは、だいたい手遅れになってから出てくるからね。
この3つは、地味です。今日やって明日効くものでもありません。
それでも、これをやっていたから、退場の申し入れを受けたときに慌てずに済みました。
だから「意外と回った」
実際に抜けたあと、どうなったか。
思っていたより、戸惑いませんでした。
理由がいくつかあります。

しっかりした引き継ぎ資料を作ってくれた
これは正直に書きますが、珍しいことです。普通はこうなりません。
前任者には「もう辞める」という気持ちが先にあります。そのうえで「引き継ぎ資料を作っておいて」とだけ頼むと、役に立たない資料が出てくることが多い。悪意ではなく、自然なことです。もう自分が関わらない業務のために、細かいところまで思い出して書き出すのは、相当な労力なので。
資料だけで済ませなかった
これは徹底していました。引き継ぎは、必ず誰かに対面で説明してもらう。資料を渡して終わり、という形は取りません。
資料は、書いた人には分かる形で書かれています。読む側が同じように読めるとは限りません。前提が抜けていたり、当人にとって当たり前すぎて書かれなかったことがあったりする。そこは口頭でしか埋まりません。
説明の場では質問が出ます。質問が出ると、書き手も「そういえば」と思い出します。資料に書かれなかったことが出てくるのは、だいたいこの瞬間です。
その場に自分も入った
後任者と前任者だけに任せず、ほぼすべての場に同席しています。ここでPMとして要件や仕様をある程度把握していたのが効きました。「あそこはどうなってる?」「ここらへんは?」と聞けたからです。
後任者は、まだ何を知らないのかが分かりません。知らないことは質問できない。だから、全体を知っている人間が横にいて、代わりに聞く必要があります。
この過程で、自分も知らなかった事実をいくつも聞き出せました。資料には書かれていなかったことです。
落ち着いている時期だった
フェーズの区切りがついていたので、後任者を育てる時間が取れました。これは運が良かった部分もあります。
引き継ぎそのものをどう設計するかについては、別の記事で詳しく書いています。資料が出てこない、期待した中身にならない、という段階で困っている方はこちらをどうぞ。
この記事で言いたいのは、その手前の話です。引き継ぎがうまくいったのは、引き継ぎを頑張ったからだけではありません。普段から二人以上が知っている状態を作っていたから、渡すものが整理されていた。私が仕様を把握していたから、漏れを拾えた。
引き継ぎが始まった時点で、結果はある程度決まっていました。
最善の策を講じられるとは限らない。それでも考えておく
ここまで書いてきて、きれいにまとめすぎている気もするので、最後に正直なことを書きます。
常に最善の策を講じられるわけではありません。
人が足りない現場では、二人目を置く余裕なんてありません。誰か一人に集中させたほうが早い場面もあります。配置を考えたくても、そもそも選べる人がいないこともある。
私自身、いつもうまくやれていたわけではありません。
それでも、考えておくに越したことはないと思っています。
完璧にできなくても、「ここは一人しか分かっていないな」と認識しているだけで違います。認識していれば、余裕ができたときに手を打てる。誰かが抜けると聞いたとき、どこが危ないかすぐ分かる。
逆に、考えていなければ、抜けると言われた瞬間に初めて気づくことになります。そこからでは間に合いません。
これはSESに限った話ではない
ここまでSESの現場を前提に書いてきましたが、この考え方はSESに限った話ではないと思っています。
人が入れ替わる組織であれば、どこでも同じです。異動のある会社、退職が続く部署、繁忙期だけ人が増える現場。パートやアルバイトの入れ替わりが多い職場もそうでしょう。
「この仕事はあの人しか分からない」が生まれる条件は、業種を問いません。詳しい人に任せたほうが早いから、任せる。その積み重ねで一人に集まっていく。どこでも起きることです。
だとすれば、備え方も同じはずです。二人以上が知っている状態を保つ。一人しか分からない状態を作らない。誰がどこを見ているかを把握しておく。SESで覚えたやり方ですが、持っていける場所は多いと思います。
主力が抜けると聞いて焦っている方へ
引き止められるかどうかは、こちらが決められることではありません。相手の人生なので。
ただ、備えておくことは、こちらが決められます。今日から全部やる必要はないです。まずは「ここは一人しか分かっていない」がどこにあるか、頭の中で並べてみるところからでいいと思います。
それだけでも、次に誰かが抜けると言ってきたとき、少しだけ落ち着いて聞けるはずです。
よくある質問
主力メンバーが抜けそうな兆候には、どんなものがありますか?
私の経験では、①その役割に元々乗り気ではなかった ②一緒に始めた相手が入れ替わった ③フェーズの区切りがついた、の3つが重なったときでした。②は補足が要ります。後任が力不足だったわけではなく、むしろ技術力は高く雰囲気も悪くなかったのですが、それでも当人にとっては同じ状況ではなかったのだと思います。③も見落としやすいところです。区切りは現場にとって安心材料ですが、責任感のある人ほど「途中で投げ出す形にならないタイミング」を選ぶため、人が動くサインでもあります。
辞めそうなメンバーは引き止めるべきでしょうか?
場合によります。本人が迷っている段階や、誤解があるとき、条件の調整で解決するときは話をするべきだと思います。ただ、本人が十分に考えた末に出した結論であれば、引き止めは「こちらが困るから残ってほしい」という自分の都合の話になります。また、退場の理由は本人の意思だけとは限りません。所属会社の判断や家庭の事情で動く場合、そもそも本人の一存では決められないので、引き止めは相手に断る手間をかけさせるだけになります。私は引き止めませんでした。代わりに伝えたのは「今までありがとう」で、力は普段から人が抜けても回る形を作るほうに使いました。
引き継ぎ資料を頼んでも、ろくなものが出てきません。
前任者には「もう辞める」という気持ちが先にあるので、「資料を作っておいて」とだけ頼むと役に立たないものになりがちです。これは自然なことで、責めても解決しません。私が徹底していたのは、資料だけで終わらせず、必ず対面で説明してもらうことです。説明の場では質問が出て、質問が出ると書き手も「そういえば」と思い出します。資料に書かれなかったことが出てくるのはこの瞬間です。そのうえで全体を把握している人間も同席し、後任者がまだ何を知らないか分からない部分を代わりに聞きます。詳しくは引継ぎがグダグダになる理由と対策に書いています。
属人化を解消したいのですが、人手が足りず手が回りません。
完全に解消できる現場のほうが少ないと思います。私も常に最善を打てていたわけではありません。それでも、「ここは一人しか分かっていない」とどこが危ないかを認識しているだけで違ってきます。認識していれば余裕ができたときに手を打てますし、誰かが抜けると言ってきたときにすぐ影響範囲が分かります。まずは把握するところからで十分だと思います。


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